治療に対する私の考え方・方針
鍼治療は個々人の状況に応じて治療が行われます。病気というものが、それ自体ごく私的な体験としてとらえればそれは理解できると思います。
家族が、友人が痛みであるいは熱で苦しんでいる。できるものなら代わってあげたい。しかし、病気は個人のものです。また全体から見れば病気の成り立ち、それもまた個々人原因環境が違って起こることもあります。
では病原菌を原因とするもの。たとえばインフルエンザをみてみますと、一家でかかる者とかからない者がいる。それは何故でしょうか?
個々人の免疫機構に差があったからです。
ではその差はどこから生じたのでしょうか。
日頃の労働・食生活・ストレス・他の疾患などなど、個々人の体験するものがそれぞれに異なるからです。
したがってインフルエンザウィルスを殺し治るためには、リンパ球を活性化し個人段階での免疫を強めなければなりません。そのためにはその個人が現在失っているものを探し出し、補ってやらなければならないのです。
私の治療は鍼(高麗手指鍼)を使います。診断をし気のバランスをとることにより、免疫を強め(ISS)、現在の体の反応を診て、どの経に異常が出ているか判断します。
弱っているのか強くなっているのか、熱、乾燥、冷え、しびれ、湿気などがあるのか。そのときに応じて治療をします。
薬はこの病気の原因であるウィルスを殺すあるいは死滅させる働きを担っています。
しかし原因を捕らえきれない病気に対しては無力です。またよってきたる発病の根本原因まで治療するものではありません。ウィルヒョウと言う学者の細胞学説以来、西洋医学の欠点であり東洋医学と異なるところです。部分を細部まで研究するか、全体を捉えるかと言う医学の視点が、この2つではまったく異なる学問と言えるのです。
今遺伝子解析が進み、やがては病気発現の遺伝子の解明がかなり進むでしょう。
しかし、糖尿病の遺伝子があり、それを受け継いでいたとしても、一家族で発病するものとしないものがいる。そのところをよくとらまえていかないと、何でも遺伝子治療で解決できると思うのは危険だと私は思っています。遺伝子治療がまったく効かないと万が一分かった時、突き進んでいってその先その時、西洋医学は挫折してしまうのではないかと、今からいらぬ心配をしているところです。
遺伝子治療は、神の領域に踏み込むことになる。慎重過ぎてし過ぎることはありません。私は仏教徒ですが、日本人であり八百万の神は意識します。
以前アメリカからノーベル賞受賞学者が来日したとき、原子核を解析していくとそこには「神の見えざる手」(学生時代読んだアダムスミスの国富論を思い出します)を考えざるを得ない。そんなことを言った新聞記事を読んだことがあります。どこまで我々は神の領域に踏み込んでよいのか。東洋医学3千とも四千年とも言われる歴史の中、紀元前すでに解剖を行っていたこの医学が西洋医学的に突き進んでいかなかったのは、どこにあるのか。浅学にして、これからの読み解くなぞのひとつです。
治療家は技術を磨き、理論をたて治療をする。しかし患者の病気を共有できるわけではない。MRIやCT、血液検査その他生検と言われるものはできない。患者の治っていく姿を観察し、感覚を聞き取りそれらの積重ねによって、過去および現在の治療家と話し合える基礎、共通感覚が磨かれるのである。
このホームページは1つの実験でもあります。過去の治した治った形式の報告は、治療家の中では意味があってもそれ以外では意味をなさないのではないか。
糖尿病・リュウマチ・膠原病などは西洋医学は無力である。治療ををリアルタイム(同時進行形)で公開することは大変な冒険である。しかし共通感覚をすべての人に持っていただくには良いと判断したのです。プライバシーに配慮し治療段階を公開しているつもりである。
これを見て不治の病だなどと思わず、高麗手指鍼だけでなく伝統医学・東洋医学を再認識していただくこともその目的としたい。またあなたに合った治療法が身近で見つかれば、それは望外の喜びでもあります。
一期一会と言う言葉があります。このページは見つけにくいので、訪れた方とまた一期一会になるのかも知れません。
高麗手指鍼は人の持つ自然治癒力を最大限引き出せます。しかしまたまだまだその力をすべて引き出せるだけの技術開発がされているのか分かりません。現に私が行っている治療には、まだ誰も行っていない技術が数多くあります。新しい疾患を治療して行く中で工夫を重ね考えていくと、また新たな効果を引き出して行く事が出来たのを実感しています。
また高麗手指鍼は確かに、人類史上ないばらしい鍼灸技術です。しかし私は、治せるならどのような鍼灸技術も取り入れようと思っています。高麗手指鍼をベースに、そのほか頭皮に行う「頭皮鍼」(脳溢血後遺症に大変効果のあるものです)や、伝統的な鍼、皮内鍼、その他なんでも摂り入れています。治せるなら何でも、それが私の治療方針です。