リウマチ(リュウマチ)のお悩みは「手のひら先生のリウマチ相談室」

リウマチ(リュウマチ)のお悩みは「手のひら先生のリウマチ相談室」

リウマチ(リュウマチ)ほか難病治療の実績により
日本各地の患者さんよりご来訪・ご相談を頂いております

お問い合わせ

リウマチの広場ブログ 09年06月14日発行

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場ブログ」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。

本日のテーマ「手のひら先生の東洋医学講座 4」

現在東洋医学にはない外科が、中国の古代にはあったわけで、その当初は戦国時代にまで遡ると著者は推論しています。なおかつ兪?と言う外科医は、インドやイラン伝来の手術を行っていたと言うことです。さらに源流はインドより西にまで広がるのです。

ここで重要な点が指摘されている。兪?に対抗した扁鵲の功績とされる、気や陰陽で把握する液体病理説の形成と鍼の発明である。

この扁鵲 姓は秦 名を越人という。伝説の1つに彼の超能力がある。透視術である。今で言えばレントゲン写真がこれに当る。

彼はそれを仙人から授かったという話になっている。『史記』扁鵲倉公列伝には、彼が旅館の支配人をしていた時に、客の長桑君に医術の秘伝書と透視術を授かったことになっている。

本書から少し長く引用させてもらいます。『この話はもとより歴史的事実ではあるまい。白鳥庫吉は戯作小説の類と断じて、扁鵲の実在性さえ否定しようとした。白鳥は、「起死回生の仁術即ち開祖として拵えた扁鵲に、威厳と信用とを与えんが為に、道家方士者の流が自家の教理・信仰を吹き込んだ物語である」と言い、長桑君を「東海の仙人、扶桑木の化身」と見なした。確かに神怪な話殻始まるうえに、矛盾と混乱を含むこの伝記は、資料的価値を減じているが、しかし、歴史家司馬遷は伝承された話ありのままに採録舌と思う。重要なことは説話のスタイルと意味である。

医者が透視術を手に入れて奇跡治療に成功すると言うモチーフは、前に引いたジーヴァカ〔インドの伝説の名医)の医療譚にもあった。頭痛で死んだ若い娘に開頭手術を施す前、ジーヴァカはレントゲンかと見まがう術で頭の中を透視した。彼が透視術を獲得する経緯は、修行を終えて帰国の途中、次のような一人の児童にあった・・・(同じような能力を得る話が書かれています)』

このような説話が書かれている場合どのような態度で接するか?単なる説話として断じてしまうか否かで、その後の論点が90度180度方向が違ってしまう。

あのトロイの遺跡を発掘したシュリーマンの話をご存知でしょうか。ホメロスの叙事詩「イリアス」に書かれたことを真実と信じて、ついに発掘に成功した話でした。

過去の記述を単なる昔話として片付けてよいのか?これらの問題は日本の「古事記」や日本書紀をとっても、未だに多くの謎を含んで解決は見ていないものが多いのです。作り話とそうでないものの見分けは、それを証明する方法が少ないので課題が多いのです。

特にここでは「気」の問題を含んでいるので、私にとっては見逃せないところです。気のレベルと言うのは素人玄人の区別はなく、先天的または後天的に獲得した内容で、人によってかなりの差があるものです。これは気の質やパワーの程度に差があるということです。

司馬遷は「気」については、常識としてはあったでしょうが、治療家としてや気の専門家までのレベルはなかったでしょう。また本書を表した加納喜光氏も同じだと思います。オーラを見ることが出来るようなレベルにあれば、扁鵲やジーヴァカのような透視術を一刀両断に切り捨てることは出来ないのではないでしょうか。文献研究や歴史家としては秀でていることを認めますが、このようなところに来ると、著者たちが自らの気の常識レベル、一般常識で一刀両断してしまうと言うのは、「はて?」いかがなものかと私は思うのです。

私が20年前に鍼灸学校に通い始めた時、先生は「最近はやっと気のことを言っても理解してくれるようになった。それまでは説明しても中々分かってくれなかった」と仰っていました。時を経るほどに文明の進化と伴に、持ち合わせていた最もプリミティブな能力を失ってきたのでしょう。本来「気」は習うものではなく、備わっている感覚で感じ見るものだと思います。それが多くの人達が感じられなく見られなくなったので、それが常識ではなくなったのが現在の状況なのです。

例えば京都奈良の仏像には、光背というものが後ろにあることがあります。例えて言うならロウソクの炎の形をしているものです。中にはそこに小さな仏様が確かにいくつも付いていることがあります。この形がオーラなのです。昔の人はオーラが見えていたので、仏像もこのように描かれているのだと言われています。

古代には確かに「気」と言うものが常識として「見え・感じられていた」、そのような時代があったのです。

042-365-9781