リウマチ(リュウマチ)のお悩みは「手のひら先生のリウマチ相談室」

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リウマチの広場ブログ 09年02月28日発行

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「リウマチの広場ブログ」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。

本日のテーマ「最近の鍼灸事情」

最近の鍼灸事情について

身体に刺す鍼では、リウマチは治せません。しかし健康保険の鍼治療の対象にはなっています。この意味はリウマチから生じる痛みを軽減する、その程度の治療と言うことです。

鍼治療が庶民の信頼を得ていた江戸時代、その頃はまた研究も華やかであったということです。戦後GHQからの鍼治療の消滅を、柳谷素霊らの働きで免れて、活発な議論・研究がなされてきた。

しかし今の鍼灸の現状は、いかにして健康保険の対象に鍼灸が組み込まれるかと言うことに、腐心している。この戦後に活躍された先生方が、次々に亡くなられていることも衰退の一端になっているかも知れません。

私が鍼灸学校に入った時から、今までの制度が変わって、資格も国家資格になりました。この変化の説明は、一方で鍼灸師のレベルアップを図るのが目的とされ、一方で病院のリハビリを分担する鍼灸師を育てるのが目的である、こう説明されていました。

病理学や解剖学などの西洋医学系の科目の比重が多くなり、鍼灸本来の理論や実技が益々減少してしまいました。

確かに時代とともに国民の医療をになうためには、時代のニーズに合ったものに変化していくのが必然である。しかし鍼灸が行なっているのは、理論も実技もはるか昔に開発されたものを使っているのです。それを学生時代のたった3年間に習得することは難しくなっています。

しかしこのように「たった3年間」と言うと、では年数を延ばせば良いとの意見になりそうですが、これは逆説のような結果をもたらすことになります。

韓国では日本が占領していた関係で、同じように鍼灸師の社会的地位が低いのです。そこでこの地位を引き上げる目的で、薬剤師と鍼灸師を合わせた漢方医制度を作ったそうです。

この資格を取得するためには、大学に行くしかありません。しかし漢方医になっても、地位の低い鍼灸師は敬遠されることになります。

韓国でもそうですが、身体に関心が向き鍼灸に興味がわくのは、40代以降になってからではないでしょうか。歴史を見ても、人生の途中から興味を持って入られた先生方の多くが、この世界を引張ってきたという事実があります。

過去の日本の社会制度の優れていたところに、人生の途中からでも巻き返しが可能であったことです。

鍼灸などはまさにこの点では、うってつけのことが言えます。しかしこれも限界があって、どの世界でも基本技術を習得するには10年の歳月を必要とします。逆算すれば少なくとも、30歳代後半から40歳までにこの世界に飛び込まないと、全く得るものが無いと言えるのではないでしょうか。

さて、鍼灸雑誌など眼にされることもないと思いますが、そこに載る論文や症例報告は、きちっとした写真やグラフが載ることになります。治療方法も目新しいものは無く、ただやってみたらこのようになりました程度のことです。

世界でも鍼灸は医療の中に取り込まれていっているようですが、その治療効果などについて、どのように取り扱っていくかは、困難な状況にあるそうです。それは代替医療と言う言葉で括られるものは、漢方薬やハーブ治療でも同じです。

例えば漢方薬を取り上げてみると、西洋薬のごとくその一部の成分のみを取り出して薬にする方法と、漢方薬のせんじ薬のように雑味やあくも含めてすべて有効成分とする、分析不可能な世界にあるものは比べようもないのです。

山田光胤漢方医の文章にこのようなものがありました。大塚敬節漢方医は義父にあたります。「子供が病気になったので、父に聞いて処方をした。煎じていると灰汁が浮いてきたので、それを除いて子供に与えた。しかし効かない。そこで義父に聞いたところ、灰汁を除いたことをしかられた。そのようにすると確かに効いた」このような実例があるのが、漢方であり代替医療なのです。

確かに一定の基準で評価をすることは必要であるが、それはその前提としてどこまでが評価可能かを、相当議論していかないと誤った方向に行きかねない。

私自身は乱暴な話ではあるが、鍼灸は「やった・治った」で良いと思っています。今流行のエビデンス・ベイスト・オン・メディスンそのもので、すべてが証明できるわけも無いので、これで良いと考えるのです。

しかしそれも一定の基準があるので、それは昔ながらの「杉山流」とか「石田流」とかの名前が付くような、流派制度の元で検証が行なわれるのが最適ではないかと最近考えるようになりました。

これは鍼灸治療自体が「ごく私的な治療技術である」と言うことが前提にあるからです。

私は韓国の鍼、高麗手指鍼(こうらいしゅししん)をメインの治療技術としているのですが、この名前を看板にしている鍼灸師とは、技術自体がまったくと言っていいほど違うので、ほかのものとは治療結果を検証しあうことは出来ないのです。出来るとしたら私の弟子、教え子たちとの間での、治療効果の評価・検証ということになります。そこで「手のひら先生」を高麗手指鍼の前につけているわけです。

明治までは日本では漢方医がおよそ6万人いたそうです。それが戦争のために医師制度を整える目的で、名目上漢方医を絶えさせてしまったのです。それまでは、様々な流派や師の下多くの漢方医が研鑽を積んでいたのです。一定の研修時間とその流派の中での習得制度があったので、彼らは人々から信頼を勝ち得ていたのだと思うのです。

学校制度の中では、治療技術理論とも学べないので、以前と同じように社会に出てから、自ら探し出した師のもと研修を重ねる。これが代替医療に括られる鍼灸の、昔からあるオーソドックスな王道であると考えるのです。

そこでも学校のような教育にしようとしている動きがありますが、それは決して望ましい方向には行かないと思う。

先達が次の世代に伝えるための制度、「修行」「弟子入り」は現代も将来も必要なことなのです。

042-365-9781