東洋医学が日本医療の中心から意図的に排除されてきて、東洋医学の常識が非常識または間違った解釈をされるように成ってしまいました。
そこを今更ながらですが正しい理解に戻せたらと思い、ここに説明をしてきます。
病は気から?いつからこんな使い方をされるようになったのでしょうか?
明るくしていれば病気にならない?気持ちの問題でびょうきは吹き飛ぶ?
いつ頃からこんな間違いをするようになったのでしょうか?
西洋医学が重要視される政策になった結果?
東洋医学は時代遅れになったから?
ナンチャッテ漢方医も格段に増えたからでしょうか?
この「気」は「気分の気」ではなく、東洋医学でいう気の流れが不調になって、病気になったことを意味するのです。
鍼灸師が脈を診て12経絡の気の乱れを感知し、そのバランスを整えることで根本から病気を治すのです。
その気がいつからか気分とか気の持ちようにすり替わってしまいました。
「笑いは免疫を上げる」だから笑っていれば健康になる。これも東洋医学から見れば危ういところです。
そもそも笑えば腹筋は収縮弛緩し、血液の流れは良くなりますね。当然免疫も上がるのは当然です。
ところで東洋医学では二千年前から知られているところですが、5臓六腑の臓器に感情が配当されています。
肝臓は怒り、心臓は笑い、膵臓は思い(思い悩む) 肺は憂い 腎臓は恐れ です。
すなわち笑いすぎると気のバランスが乱れ、それによってキチガイになるのです。
今時気違いなどというと差別用語と言われかねませんが、現代でいう精神疾患も気の乱れから発生すると、東洋医学では考えられたのです。
何も精神が悪いからでも良からぬ考えや思想が有るから、精神疾患になるのでは無く気の乱れから病気になるのですね。
そこに病は気からと言われるようになったのです。
ご存知でしたか?
前回「病は気から」は、気持ちの気ではないことをお話いたしました。
今回は東洋医学の診断論 「望聞問切」についてお話いたします。
望というのは望むということで、すなわち望診です。患者さんの顔色・顔艶・歩き方・話し方全てが診断になります。
現在最高齢だと思いますが山田光胤漢方医師は、望診は「患者が診療室に入ってきたときから始まるのだ」と仰っています。
まさに然りで私もそのようにしています。
西洋医師は現在はそのようなことはなかなかしない、できないのではないでしょうか。
もうコンピューターに文字を打ち込むことに専念しなければならないからです。
次が問題の「聞」ブンです。
皆さんは「聞く・キク」としか使うことがないので、耳を使って言葉をキャッチすることと理解しますでしょう。
しかし東洋医学では「聞・ブン」は、実は「嗅ぐ・匂いを嗅ぐ」という意味なのです。
ところが先日経済ニュースを見ていたらコマーシャルで「東洋医学の叡智 聞診を取り入れて経済の様々な声に耳を傾け、投資を考えよう」というのが流れてきました。
諸葛孔明みたいな人物イラストが描かれているのを見て、ぶっ飛びましたね。
誰がこのコマーシャルを作ったのか、きっと東洋医学にはまったくの素人さんが作ったのでしょうね。
残念!とギター侍が登場とはならないのです。
調べてみたらもう2年もコマーシャルは流されていたのです。
五臓には五香が配当されています。
肝臓はアブラクサシ 心臓は焦げ臭し 膵臓は香し 肺は腥し 腎臓は腐れ臭し とされています。
なぜ二千年も前にかつ生理学も無かった時代にこのようなことが理解できたのは、当たっているので驚嘆しますね。
肝臓が悪ければ胆汁が出なくなるので、脂肪の分解ができないので油臭くなるのは納得できます。
心臓が焦げ臭いのは、自分の経験からも不整脈が出ていた時、尿がこのような匂いをしていたので理解できました。
膵臓は糖尿病と関連するので皆さんは納得できるでしょう。
もう半世紀も前だったか「文藝春秋」に、その頃は汲み取り便所でしたから、業者が気がついてご主人が糖尿だったとわかったなんて話が載っていましたね。
肺の匂いは経験があります。末期のがん患者が見えた時治療室中が、異常な悪臭になりました。
通常の脱臭スプレーでは消えず、専用のものを購入し対処したことが有ります。
マンホールに頭を突っ込んだ様な匂い、または夏にゴミ箱に同じことをした感じでした。
腎臓の匂いは体験したことはありません。
相当臭そうですね。
以上を「聞診」で嗅ぎ取るということです。
切診というのは、脈を診るとか経絡のどこが凝っているのかなど、触って診断する方法を表します。
そのほか問診には、味覚はどうですかどのような味が過度に好きですか?
望診には顔色が青いか赤いか 黄色いか白いか黒いか など多くの情報を読み取るのいです。
MRIの血液検査もない時代に、治療家たちは五感を研ぎ澄まして診断したことです。
くれぐれも「聞診」は耳を澄ますことではないことをご承知下さい。
それにしても2年以上も流れていたなんて、誰も指摘しなかったとは考えられないことです。
漢方薬に即効性はない
だから長く飲み続けないと効かないのだ。
漢方薬の世界ではこのように言い続けられ、現に今もそのような認識がされています。
これ誤っています。
なぜこんなことが巷に広まってしまったのでしょうか?
それは江戸時代にいたと言われる8万人もの漢方医は、ホームドクターの役目を果たしていたのに、明治維新政府の戦争に使える西洋医に全てを移行させたからです。
それは大塚敬節医師か娘婿である山田光胤医師の言葉であったか失念しましたが「風邪などは刻々と変化する、咳だけだったのが熱を出すというふうに、それに対処するようにすれば風邪も治る即効性は担保できるのだ」
いま漢方医にいけば処方薬は1ヶ月単位で出されます。それは漢方医が希少になってしまい、且つ西洋医学的な処方パターンに習っているからと思います。
隣の漢方医であったなら、頻繁に受診できるはずがそれは叶わなく成っているからです。
逆に悪用とまで行かないまでも、「漢方薬は即効性がない代わりに、長く飲み続ければじわじわと効いてくる」と言われることがあります。ごく個人的な経験からいえば、これも疑わしいです。私は鍼灸師なのですが「関節リウマチ」の治療で、10回もしないうちに体の変化をもたらすことはできます。30回ほどでほとんどの血液検査数値を変え、症状を無くし健康体に近づけることができます。
漢方薬は日に3回服薬するので、3ヶ月もあれば何らかの結果を出せるはずです。1年以上2年も3年も飲まなければならないのは、それはきっと合っていないのかも知れませんね。
「漢方薬は副作用が少ない」と言うのも嘘ですね。
故高橋晄正医師の「漢方薬は効かない」を韓国で出版するお手伝いをしたことがあります。その中に「暝眩は副作用だ」と言う分析結果があります。これは一時漢方界では大騒ぎに成った事件だったそうですが、分析結果をよく読見込んだ結果いまではそれが正しいとされているようです。
私も昔有名な漢方医を受診したことが何度もありますが、暝眩は一度も経験したことはありませんでした。余談ですが韓国でこの本が出版されたあと、韓国の漢方医師の3分の2は廃したことを知りました。韓国民は世界一漢方薬を飲んでいたそうですが、このことを知ってから服用を止めたからだそうです。
私も開業当時鍼灸なのですが、この便利な言葉は使わせてもらっていました。幸いなことに一度もそのようなことはありませんでしたが。