リウマチ(リュウマチ)のお悩みは「手のひら先生のリウマチ相談室」

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手のひら先生のリウマチ相談室ブログ 11年6月1日発行

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「リウマチの広場(by 手のひら先生)」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。このブログでは日々鍼灸師として、学び考えた事をテーマにしていきます。

本日のテーマ「BSの野球解説者武田一浩について 」

この前ふと出てきたブログで、武田一浩の大リーグ解説が良く分からないと言う批判が載っていました。 我が母校明治大学の先輩として、と言っても野球部にいたわけではいたわけではありませんが、一言謝りましょう。ゴメンナサイ! 彼は努力の人なのです。付属高校から本来ならそのまま大学野球部に入れるのですが、残念ながら落ちてしまい1浪して一般入試で入った努力家でもあります。 入学してからは明大のエースとして活躍しました。 卒業してプロになる時、当時中日の星野監督が指名するかなと見ていましたが、入団は出来ませんでした。 明治大学野球部は、人間関係が濃いのでこれは意外でした。 その当時監督は島岡さんでした。彼は野球部の監督人事がもめたとき、時の総長が「ゴタゴタもめるならあいつにやらせろ」と言って指名したのが、出入りのスポーツ運動具店をしていた応援団長出身の彼だったと聞いています。 だから中々点が入らないと作戦ではなく、「何とかせい」と言うだけでしたが、それで得点するのだと同級生が言っていました。 野球部の選手からマネージャー全員が、4年生まで彼について行ったのは全員就職をさせてくれたからです。 100名以上いたメンバーを全員就職させると言うのは、当時でも大変で我々の中でも話題になっていました。 プロ野球は知らないのですが、ノンプロなどから引き合いがあると、その選手に何人か付けて就職させるとかです。 でも企業もスポーツ選手はグタグタ文句を言わずに働くので、良く採用されていたみたいです。 今の状況ではどうでしょうか。でも所詮社会に出れば体力勝負、学歴よりも優るかも知れません。 さて彼は日本ハムファイターズに入団し、ダイエイホークス、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツと渡り歩き、2002年に引退したのです。 明治大学は一般に六大学と言われます。と言っても頭でなく野球の方ですが、と学生時代同級生は言っていました。私もそうでした。 鍼灸学校は東洋鍼灸専門学校、最終学歴は明治大学です。 前者は仕事が終わって通えるのがそこだけ、明治大学は受けて受かったのがそこだけと言う理由で、仕方なく決まってしまったのです。 しかし入ってみると、意外と学生思いの良い大学でした。 私が入学したころは学生運動が盛んでした。特に入学1年か2年前に学費値上げで大騒ぎでした。 入学した時経済学教授が言っていました。 学校も理工学部なんか作らなければ学費を値上げせずに、紛争も起こらなかったのにと嘆いていました。 「今度工事現場に行ってらっしゃい。そこで現場監督にどこの大学出身か聞いてみなさい。ほとんど明治大学と答えるから。」 へーそうなのか。土地代などで必要になって学費値上げか? でも世田谷区に2年生まで通う泉校舎がありますが、裏手に広い運動場があります。これは生徒のためにと学校が買い増ししたものだそうです。 まあ今となって考えると、ビートたけしも星野仙一も現場監督と言えば現場監督で、納得できるけれどあの言葉は逆切れしていたんだなと思う。 他の学校の生徒と様々なところで交流すると、わが校が生徒のことを思っていることがありました。それが教室の多さです。 図書館に行くまでもなく、しかしちょっと勉強の場が欲しい時、結構空き教室があったのです。六大学でもH大の生徒は、そのようなスペースが全くないと嘆いていました。 奨学金の制度もある程度簡単に借りられましたし、学校の雰囲気も良かったんじゃないでしょうか。 試験問題も変なひっかけ問題はないし、簡単ですし滑り止めには良い大学でした。 でもいま人気大学になったらしく、喜ばしい限りです。 ところでそのような大学をでた武田君の解説が、分かりにくい納得できましたでしょうか。と言うのは冗談で、彼の解説はぼそぼそつぶやくような声を除けば、かなり個性的で面白い解説になっています。 ではどこが良いのか、次回にお話いたしましょう。
042-365-9781