リウマチ(リュウマチ)のお悩みは「手のひら先生のリウマチ相談室」

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手のひら先生のリウマチ相談室ブログ 07年10月14日発行

こんにちは、ホームページ「手のひら先生のリウマチ相談室」を運営している、手のひら先生こと長谷川和正です。「手のひら先生のリウマチ相談室ブログ」として、高麗手指鍼治療にまつわるお話をいたします。このほか「手のひら先生の治療日誌」と「リウマチの広場(by 手のひら先生)」もありますのでこちらもよろしくお願いたします 。

本日のテーマ「新聞のスポーツ欄は文化を伝えているか」

今回はちょっと寄道して、スポーツ文化は伝えられているか?特に私の考える新聞のスポーツ欄について考えていることを書いてみます。

スポーツを文化と捕らえている日本人はどのくらいいるでしょうか?もちろん能書きなどこかずに、楽しめばそれはそれで良いのですが。しかし、これを文化と捕らえることによって、自らの精神生活が豊かにまた社会がより実りある成熟社会になると私は考えるのです。私にはきっかけがありました。勤め先で自己啓発の名目でお金を出してくれて、職員の自主研修をさせて士気を高める制度がありました。私は意義ある制度と見ていましたが、初期の目的がどうであれ行く先は曲がって行き、尻すぼみになることが分かっていました。

地方の役人でしたが、役人の性格性質は中央地方とも、ほとんどどの段階でも同じでしょう。この手の制度はマンネリ、先細りが目に見えているのです。見ていると役人は最初は応募者がとても多く、選別しないとならないくらいでした。5、6年すると担当者がやってきて、お願いだから引き受けてくれない?と言うのです。

おそらく推測すると役人の心は、最初はこうです。「これは絶対自分にとってチャンス。この埋もれている才能と情熱を、上の人たちに知ってもらうんだ。出世のきっかけになればうれしいな」でも年を経るうちに、制度を利用しても出世や現実が変化しないと、皆が分かってしまうのです。

今年の成果報告が冊子になって回覧されて来ます。また同じだ。毎年毎年同じような内容です。なぜだか分かりますか。役人は何をやったかとかどのように調査研究をして来たかより、報告することを頭に入れて自主研究を始めるのです。報告するためにはどうするか。報告書をまとめるため、いっぱい資料が集められるものを研究しに良くのです。

どのようなものか分かりますか?そうです。あそこで文化ホールを市民のために立てたとか、市民のために美術館を立てたとか、そこを狙うのです。目的がはっきりしていますよね。その目的を作るために、きっと委員会なるものが設置され、有識者なる人たちが、時間を掛けて検討するのです。でもほとんど最初から役人が考えた予定通りに進んでいって決定するんです。そこでも議事録のコピーがもらえます。建物を建設するなら、その形や規模を考える、これもまた選定委員会なるものが設置されます。そこでもまた議事録がたくさん出てきて、それももらえます。

そして完成した建物の写真入の本をもらってくるのです。もう現地に行かなくても、報告は書けるのです。

今はあまり聞かれなくなりましたけれど、地方議員の海外視察がこのようでしたね。資料集めは観光会社の社員で、中にはそれをまとめて報告を書いたのも社員だったなんて話がありました。ちょっと昔に。職員も同じことをやっているんです。

さて、私も頼まれたら断れないし、担当者が苦労をしていたので引き受けることになりました。ただし普通のことでは面白くないので、文化に関するテーマを3つほど絞りました。その中に「日本におけるサッカースポーツ文化について」があり、それをやってくれと言うことになりました。

でもサッカーなんてまったく知らなかったのです。早速役人ですから資料集めです。でも資料なんて何にもないのです。まとまった本はたった1冊、岩波新書の「サッカーの歴史」?だったかな、だけでした。困りまして国会図書館まで行って来ました。

卒論でお世話になったところなので、資料検索は迷うことはなかったのですが、結局あったのはサッカーマガジンの類の雑誌だけでした。

それを読み込んでいくと、日本のサッカーは学校教育の一環として発展してきたと言うことが分かりました。その中で高校スポーツの盛んな都市が、埼玉、東京、静岡は藤枝清水、京都、そして九州地区ということを知りました。選んだのは清水市です。

清水市のサッカーの基礎を築いたのは「堀田哲爾」氏であることが分かりました。役人根性が抜けきれないので、訪問する前に電話を掛けました。「何か資料ありませんか」「あんた、世界のどこにサッカーに関するまとまった資料なんてないよ」面目ないことでした。

清水市の訪問、清水FCがどのように活動されているか。そしてサッカーがどのように市民生活に根ざしているか。それらを目の当たりにしてくると、今までのスポーツ、端的に言えば「勉強をが出来ないやつがするのがスポーツ。とか金儲けの出来る分野。」とか漠然としていた考えが大きく変わって、スポーツを文化として捕らえよう。

「人間の営みの中で知的肉体活動として捕らえると伴に、スポーツをする方もまた見るほうも、さらに支えるほうも、すべてが文化として捕らえるような目に変わってきました。

そのような目で見てみると、真っ先に気が付くのが、マスコミにおけるスポーツを文化として捕らえる、目線の低さに驚かれます。選手が世界レベルで考えて先を見据えているのに、それをインタビューする側が地球のスポーツ文化の不毛の地に生まれた哀れな言葉遊びの人間であることが理解できるつらさです。

最初に日本の現状が痛烈に分かったのが、ワールドカップフランス大会でした。衛星中中継でフランス人の記者がNHKに招かれ、コメントを求められて話すのですが、その言葉すべて文化を語っているのには、本当に衝撃を受けました。例えようはないのですが、あの空也上人の像のごとく、口から文化という言葉がこぼれ出るようにしていたのをうらやましくも見ていました。

昔はスポーツ文化に触れたいときは、スポーツグラフィック誌「ナンバー」を読むか、佐瀬稔氏や山際淳二氏の文章を読みました。野茂のフォークを「瞬き落ちる」と表現したのには、美しいと感動しました。「江夏の二十一球」では人間の営みの緊張感が、ひしひしと行間にあふれ出ることに、まさに興奮手に汗握ることでした。

日本経済新聞のスポーツ欄は、全紙の中で燦然とした輝きを放っています。たった一つ気に入らないことを除けばですが。

例えばスポーツ選手、特に野球がエラーや打ち込まれたとき、あのスポーツ新聞と同じレベルに堕してしまうのです。どこの世界のスポーツ選手が「背信」などという行為をするか?「背信とは、単なる期待を裏切ることではない。辞書には「相手との約束や道義にそむいた、人間としてあるまじき行為をすること」どこのスポーツ選手が、道義に反した行為をするか。

一所懸命努力して結果が出ないと言うことは、背信ではない。字を知らないスポーツを知らないやったこともない、レベルの低い記者とは程遠いものがいる。

毎日担当者が違うコラムが一流です。元東大学長蓮見重彦の名前を見たときは「何で」と思いましたが、「ふーん」視点がかなり違っているのだが、納得できる点でまた面白い。サッカー担当の吉田氏も関心し得るところが多い。特に感銘を受けることが多いのが豊田泰光さんのコラムです。選手として活躍したのですが、ヤクルト時代は選手を殴ったりして、反発を受けた奴だよなこいつ。ぐらいにしか思い出はなかった。ところが読んでいると、スポーツを超えて含蓄が多く感銘することが多い。最近で切り抜いたのは「人の技術を盗めと言うけれど、盗む方の人間に盗んだ技術を使い生かすだけの者を備えていないと、その行為は出来ない」のだと言うことでした。

鍼灸師でも同じです。学校外で習った刺鍼術を同級生に教えたことがありました。でもまったく反応はありませんでした。彼らの今でですか?言わなくても分かりませよね。

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